山野の光明寺 住職のひとりごと

広島県は福山市のお寺、光明寺です。お寺のことや趣味のカメラであれこれを紹介します。

肩書

大峰山系弥山で遭難した53歳の男性が13日ぶりに発見された」と昨日のテレビ、今朝の新聞に報道されています。マスコミは彼が県の部長だということを大きく扱ってます。まるで「肩書=役職」が遭難し発見されたような扱いです。

 いつも思う事ですが、新聞の投書欄にも必ず「肩書」が名前の上に載せてあります。おかしい! 人間が肩書で評価されてる、事件も事故の被害者も加害者も「肩書」付き。おかしい! 

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境内に顔を出したキノコ

 

f:id:yamano-koumyouji:20160421150745p:plain2016.10.23 隆

山野もカープ

ときどき着替えている案山子

今日はカープのユニフォーム姿に

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道路から川を挟んで山際の畑をカメラでパチリ

遠目に見えるのは背番号49 天谷宗一郎選手かな?

 

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水車と語りん祭@山野町福山市

この週末10月23日に「水車と語りん祭」が開かれます。

水車の里「こっとん村」で10時から

 

お天気もよさそうなので、遊びに来てね

水車の力で撞いたお米、地元の野菜や栗

竹細工やキラリやまの特産のおこわやお寿司などなど

 

山野中学校を目指しておいでんせぇ

 

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宿題か!

 同級生(龍谷大学)の山口県周防大島の浄念寺(浅原賢明住職)永代経法要2泊3日へ出講。

出かける1週間ほど前に「ご案内が遅くなりました」という手紙と門徒さんたちに配った「浄念寺だより」が届いた。

 その「あとがき」に

  1. 私達は、不思議にも人間としてうまれ、多くのことを経験し、それを糧にして今日一日を生きてゆきます。
  2. 親鸞さまはその今日の一日が浄土への道であると教えてくださいます。
  3. 浄土ははるかかなた、死んでから往生するという未来のことではなく、今、私が往生しつつある身ということです。
  4. 限りある人生が無量のいのちへと変換される、その仕組みこそ本願のはたらきそのものです。」

 おお、真(まこと)よなぁ、ところが、その後に

「永代経、共々に聴聞(ちょうもん)させていただきましょう。」

 何だこれ! 僕への宿題か!

という訳で1.~4.に分けて法話をさせていただきました。

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夕暮れ時の周防大島の海

 

f:id:yamano-koumyouji:20160421150745p:plain2016.10.16

 

お勧めの一冊

 今朝の新聞(中国新聞)に「日弁連死刑廃止宣言――20年までに終身刑を検討」という見出しの記事がありました。

犯罪被害者支援弁護士フォーラムは「死刑廃止のみが正義だと国民に押しつける暴挙。加害者の人権を被害者の人権より重く見るのはとんでもない」と表明したとのことです。

 

 内閣府が14年に実施した世論調査では死刑制度を容認するが80.3%、廃止を求めるが9.7%だったそうです。

 果たした被害者の家族は加害者が死刑になれば救われるのでしょうか。

 加害者が自己と向き合い、心より詫び、一生詫び続けることがあればどうでしょうか。

*  *  *

「実にこの世においては、およそ怨(うら)みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息(や)むことがない耐え忍ぶことによって、怨みは息む。これは永遠の真理である」

ブッダの真理のことば』

 

 

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憲法第九条と死刑

 日本には憲法第九条があります。私は必ずしも第九条を金科玉条とするような信奉者ではありません。しかし、意図して練り上げられた理念かどうかは疑義があるにせよ、憲法第九条は戦後の遺産のなかで秀逸なものだと思っています。「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」。これは究極的には死刑という国権の発動をも否定しているのではないでしょぅか。私はそう思いたいのです。そう考えるぺきだとも思っています。いま、第九条は危機に瀕していますが、第九条を死守することは死刑制度の廃止、死刑執行の即時停止につながるのでなければならない。私はそう考えます。

『愛と痛み』本文より引用

 

f:id:yamano-koumyouji:20160421150745p:plain2016.10.8 隆